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2004年05月20日

四三さん

TVを見ていて、おっと、目に入ったのは、 金栗四三かなぐりしぞうという、マラソン選手。 ビックリしたのは、この、四三というめずらしい名前、 自分の亡くなったお爺ちゃんも、同じ名前やったからなんスよ。

金栗四三さん、明治45年(1912年)のストックホルム五輪に日本初の選手として出場し(もうひとりは、陸上400mの三島弥彦さん)、 日本マラソンの父と言われてる人ッス。

ただ、このストックホルム五輪では、日射病で途中棄権しちゃったんスよねえ。 現地の人に介抱されたんスが、棄権の報告がいかず、「行方不明」扱いにされ、 本人も、それに気づかず、帰国しちゃったそうッス。 そして、当時の新聞には、「消えた日本人選手」ってな感じで書かれたそうッス。

ただ、それだけでは話は終わらない。 1967年、ストックホルムで「オリンピック55年祭」があり、 そこで、「行方不明」扱いの金栗さんのもとに、 「まだ行方不明のまま走り続けてるであろう金栗選手に、ゴールしていただきたい」 という手紙が届いたんス。 もう、75歳になっていた金栗さん。 それでもストックホルムの地で、ゴールテープをきったんス。

四三は、スウェーデンオリンピック委員会からオリンピック記念行事へ招待され、 55年振りにスウェーデンを訪れた。 ストックホルム大会で途中で棄権してゴールをはたせなかった四三が、 54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールを果たした瞬間、 「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年…。 これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」とアナウンスされた。 これに答えて四三は「長い道のりでした。 この間に孫が5人できました」とユーモアあふれるスピーチをした。

これは、金栗四三さんの母校のホームページより。 ストックホルムも、金栗さんも、なんとも粋だねえ。